首里校の甲子園を描いた「海を越えた挑戦者たち」

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なんとこんなのがやってたんだね〜。シーサー玉城がインタビューに行ったそうで驚きました。「海を越えた挑戦者たち」なんと首里校の話ではないか。私の母校、首里高校はまだアメリカ統治下だったころ沖縄から初めて甲子園に出場した。しかし沖縄に戻る時に甲子園の土が持ち帰れなかった。植物検疫法にひっかったのだ。土は港で焼却され海に捨てられたという。球児達も悔しかっただろうが、沖縄は日本ではないという現実が突きつけられたことが本土でも大きな反響をよんだそうだ。そのあと日航のスチュワーデスさんが不憫に思い甲子園の石ならいいだろうということで石を首里校に送ってくれた。それは首里校の甲子園出場の記念碑のなかに埋め込まれております。

このような話が演劇になっていた。知らなかった〜。作者は「畠山貴憲」という方。演じるのは劇団「俳小」東池袋にある劇団だ。ここの前は通ったことあるぞ。演出は勝山了介という方でした。役者さんに沖縄の方はいないし方言とか沖縄なまりを取り入れているわけではないのですが、沖縄の人がみたら自分たちの物語として見れるはず。こんな演劇が夜な夜なご近所で練習されていたなんて驚きとともに嬉しい

時代はいつだろう。調べてみると1958年だった。米軍統治下っていう感じの時代だろうねえ。通貨も軍票のB円からドルに変わった。55年には6才の子が米兵にレイプ惨殺される由美子ちゃん事件、56年にはプライス勧告(沖縄の土地を安い金で永久に取り上げ軍用地を広げ核も配備)の反発から起こった島ぐるみ闘争。那覇市長は反戦の英雄「瀬長亀二郎」59年には宮森小学校にジェット戦闘機が墜落している。

そんな時代に、そんな時代だからこそ、沖縄の子供達が甲子園で堂々と戦ってほしいという想いがあった。次の世代に繋げるように自分はアウトになっても走者を二塁に送る「犠牲バント」の精神なんだ。また生き残ったものは「命」を「使う」それこそが「使命」なんだ。というセリフ。ぐっと来たなあ。グラウンドの整備シーンには爆弾の破片や戦没者の人骨がでてくるし「艦砲の喰えー残くさー」というセリフもあった。戦闘機の爆音。収容所の回想シーンでは背中にPW(プリズナーオブウオー捕虜)と書かれている。作者の畠山貴憲さんはそうとう沖縄のことは詳しいと思った。違和感を感じるシーンなんてなかった。

試合のシーンでは応援席でエイサーを踊るという素晴らしい演出だった。なるほど〜。試合そのものを見せるわけにはいかないからねえ。役者さんの中にエイサー経験者がいるそうだ。琉球国祭り太鼓だろうか。唐船どーいの三線演奏は本格的でした〜。実際の試合も3対0だったという。もっと10対0ぐらいで惨敗したのかと思ってました。

検疫で土を捨てさせるというシーンはとっても力がはいってましたねえ。金色の紙吹雪をキラキラと光らせていました。なるほどねえ。土を捨てるっていうと地味なシーンしか思いつかないもんなあ。こういう演出はうまいですねえ。それを捨てる植物防疫官の男の設定もよかった。害虫退治の仕事だといっていたので、沖縄で害虫といえば世界最強の外来害虫「ウリミバエ」彼のその後はウリミバエの根絶プロジェクトに繋がるのかもしれません。78年に根絶に成功して沖縄の野菜が出荷できるようになったそうです。

とてもいい内容でしたね。見に行ってほんとよかった。

できることなら沖縄のなまりを取り入れてほしいなあ。それで沖縄出身者のお客が多ければ会場から指笛きたり手拍子、拍手、おきると思うねえ。首里校だから養秀同窓会関わってないのかなあ
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