慰霊の日に屋嘉節

今年も慰霊の日でしたね。6/23日。牛島司令官の自決した日。でも、このあとも戦闘は続く。沖縄は防波堤になるための持久戦だったから。最後の一人まで戦い抜くといって、戦闘をやめなかった。牛島中将に対しては良い印象も悪い印象もないよ。ただ、首里が陥落したときに降伏していれば、そのあとの南部の戦闘はなかったかもしれないし、そこで10万人が死ななくてすんだかもしれない。避難民がひしめいている南部に軍が撤退したおかげでこれほど多くの民間人が犠牲になったわけだからね。

慰霊の日は沖縄では学校は休み。12時なったらサイレンがなって黙祷が始まる。平和のいしじに参拝する。ここには沖縄戦で死んだ全ての人の名前が刻まれている。アメリカ人もだ。ここを訪れた人は自分の肉親の名前を探して、その刻まれた文字をなでながら、花を手向け、泡盛お線香を捧げる。みんな泣いている。

慰霊って、いったい何。いってみれば沖縄戦で死んだ人のお葬式だ。生きてる人が自分の苦しみから解放されるために、みんなで集まって同じ日に死者を追悼する。悲しみ、苦しみを共有する日だ。

戦争という強烈なトラウマを治療する為に慰霊があるんだ。

そんなトラウマを呼び起こすものが、今も居座る米軍の爆音、事故、犯罪、なんだ。そして、かつての日本軍の軍国主義を思い出させる、右翼や、日の丸君が代の強制だ。

スポーツで日の丸君が代は反対しないよ。健全なことだと思う。
でもあれを聴くと恐怖がよみがえって体が震えるっていうお年寄りがいるんだ。
そんなお年寄りの苦しみに俺は寄り添っていたい。

「沖縄戦の慰霊とは基地を無くすこと」と辺野古のテントに掲げられていたのが強く心に残っている。次世代に少しでも平和な沖縄を渡したい。オジーオバー達の悲惨な戦争体験を我がこととして、そしてそのマブイがやすらかになれるよう、フェンスのない沖縄、オスプレイの飛ばない沖縄、米兵の犯罪のない沖縄、イスラムの人々を殺すことに加担しない沖縄、そんな未来を求めるよ。

唄は「屋嘉節」。三線をやる人にはぜひ知っておいてほしい唄だ。戦後、屋嘉の捕虜収容所でカンカラ­三線で歌われた唄。配給の缶詰。これはミルク缶だったみたいだね。タルーさんのサイトに書いてあった。どんな缶だったのか。米軍カラーのグリーンな色だったのか。それに、ベッドの木枠を棹に。パラシュートの糸を絃にした。この唄には戦争直後のボ­ロボロになった心がタイムカプセルのように封じ込められています。そしてメロディの美しい唄です。クバ笠を被って歌います。

「懐かしや(悲しいかな)ウチナー 戦場になやい 世間御万人ぬ 流す涙」

「涙 呑でぃ 我んや 恩納岳 登てぃ 御万人とぅ共に 戦しぬじ(しのいだ)」



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