価値と幸福

演奏活動をしていると、有名と無名の差って本当すごい差があるなと実感することがある。例えば路上で知らない人が歌っていてもみなさん素通りするが、有名人がいれば人垣ができる。みんな有名人を一目見ようと列をなす。そこには歌そのものの価値というより、有名か有名でないかの差が大きい。有名ってことはもう圧倒的に人が集まる。出演料も10倍とか100倍ぐらい違う。みんな音楽を味わうというより有名人を体験しに集まっている。

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食べ物だとマツタケという日本食材界の大スターがいる。高級贈答品としてのポジションは揺るぎないブランドだ。数千円とか1万円とかする。普通のキノコと比べて数十倍の格差がある。

しかし純粋に味だけみれば、自然の食材に10倍もの差があるわけがない。想像してみよう。もし世の中のキノコがすべて同じ値段で、スーパーに普通にならんで、子供の時から当たり前に食べている物だとしたら。はたしてマツタケをそこまでありがたがって食べるだろうか。実際「香りマツタケ、味シメジ」っていうから、すでにシメジの方が美味しいんいじゃないか。総合的にはシイタケが凄そうな気もするし、エノキ、マイタケが個人的には好きなキノコだし。一番おいいしと思うのはマッシュルームだ。マツタケが突出して凄いと思うのは幻想だ。それは日本文化の域まで達しているので否定する気はないけどね。しかし無闇にありがたる前に、きちんと自分の価値基準を持って欲しい。

ワインなんかも特にそうだと思うのだが、高いワインの違いを分からないとバカにされるんじゃないか?という不安がある。だから高いワインを飲むと分かるふりをするのだけど、そんなことも本当はする必要はない。

一番大事なのは自分の価値観だ。自分が美味しいか美味しくないかが最優先だ。
他人が決めた尺度は全く関係がない。
有名無名、高い安い。そういうものを全て無視して、自分にとって面白い!っていうものを掴む人生は幸せだ。

俺には音楽と映画がそうだ。
値段が高い安いはない。有名無名もない。面白いか、そうでもないかだけ。
ただ、自分にすぐに理解できないものに時々出会う。最初は面白くない。
でも何か気なって2度3度見ると、とんでもなく面白かったりする。
価値が広がって深まったのだ。その時自分が成長したっていう実感がある。

だから自分が理解できなくてもすぐに否定はしない。世間的に名作と言われてるものには何かあるんだろうと思う。しかしそれが理解できないからといって恥ずかしいとも思わない。芸術は人を幸せにするためにあるものだ。「理解できなくて恥ずかしい〜」という思いをさせるために作品を作る人はいない。

世の中、有名か有名じゃないかで物事が決まりすぎる。
それだと人は幸福になれない。
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