ハンタン山のアカギ

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自分は首里の育ちです。小学校は首里城のすぐとなりにある城西小学校というところ。その通学路、首里城の城壁の隣を歩くのですが、ちょっと不気味な老木がありました。大きな木ですがいまに朽ち果てそうで、だいぶ年寄りの木だったと思います。沖縄の霊能者ユタがこの木に話しかけていたこともありました。そのうち残念ながら枯れてしまったようです。木が岩のようにカチカチになっています。しかし、他の木がそこに寄生して新しい部分が上の方から生えてきたんです。それが今ではかなり成長して、大きな気根を柱のように道路に食い込ませています。

沖縄戦の写真を見ていたときこの木のことが出てきてビックリしました。「ハンタン山のアカギ」という木です。金城町石畳にある大アカギとは違います。首里城の隣、龍潭池との間はハンタン山といわれていて、首里王朝にとって聖なる森、御嶽(ウタキ)でした。沖縄戦で首里城の地下には日本軍司令部の壕が作られたため、この一体は猛烈な砲撃にあっており、首里城もろとも、ハンタン山も焼けて無くなってしまった。しかしこの「ハンタン山のアカギ」だけは焼け跡の中から奇跡的に生き残ったというのです。

戦後の首里復興

1950年の写真にはまだ守礼門もないですね。そして道には馬車も走っている。「ハンタン山のアカギ」は枝も葉もないような状態で枯れているように見えます。

この木は首里の戦争の生き証人だったんですね。自分はここを通るたびに不気味な木だなーと思ってしまっていて、申し訳ない気持ちです。あとで、木のところに行ってみると、ちゃんと説明板があって、そのことが書かれていた。

この「ハンタン山のアカギ」そのものは死んでしまったのだけど、それを礎に新しい第二の木があの戦争を今に伝えているんですね。自分の世代も戦争を体験していない世代。戦争の辛さ、憎しみ、悲しみ、トラウマは体験者よりはどうしても薄まってしまうわけです。なのでこの木をみると、戦争を生き抜いた世代の上に自分たちがいる!ということをあらためて思い出させてくれるんです。

自分も次世代に戦争を伝える役目を果たしていかないと思います。次世代への礎になるように頑張らないとね。

民謡でも「屋嘉節」「艦砲ぬ喰ぇー残さー」などは歌っていかないとなあ。
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