ヒロジが帰ってきた

マッシーデザイン「ヒロジ」。実際に自分で撮った写真をもとにデザイン化しました。

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沖縄基地問題に関わると、辛いこと、悔しいこと、何度も味わうことになる。
でも時々、こういうものすごく嬉しいことが起きる。
それは不意に突然起こるものだ。
一日中曇り空かと思っていたところに、ふと太陽がさすようなものだ。

山城ヒロジが釈放されてとてもうれしい。

彼は沖縄の「英雄」であり「良心の囚人」です。

彼の問われている罪は「有刺鉄線を切った」「基地の前にブロックを積んだ」「防衛局員を揺さぶって怪我させた」です

数千円の有刺鉄線を切った罪が問われるのに、ヤンバルの森が切り裂かれたことの罪は問われないのでしょうか。

ブロックは程なく機動隊に撤去されたのに、米軍基地はずっと沖縄に居座ったままです。

防衛局員はテントを強制撤去に来た際に市民が怒って追い返した騒動。それでも殴るなどの一線は超えていませんでした。逆に市民側で機動隊に怪我させられた人はそれこそ数え切れないほどいます。

沖縄が味わってきた米軍の事故や犯罪、座り込みの市民が受けてきた暴力、沖縄の大切な自然を破壊する愚行に比べたら、山城ヒロジの罪は、どれほどのものなのでしょうか。

国際人権団体アムネスティも山城ヒロジの釈放を求めていました。
アムネスティーが抗議するなんて、軍事政権や宗教弾圧みたいな話じゃないですか
日本もそんな国になってしまったのです。
沖縄のではむき出しの国家の暴力が続いています。

それでも、ネットは山城ヒロジさんの誹謗中傷に溢れています。
過激派だとも言われるような写真や動画が大量にあります

過激派まで行かなくてもひょっとしたら暴力的な人なのかもしれない。
そう思う人もいるかもしれません。

しかし彼が集会で実際に言っていたことは「機動隊を挑発しない、突っかかっていかない」「昔の安保闘争じゃないんだから」ということでした。
工事車両を止める、抗議する、そんな現場での押したり引いたりのギリギリの線で、怪我人が出ないように、逮捕者を出さないように、そういう非暴力で、抵抗していく。少しでも工事を遅らせていく。
そういう「非暴力」「不服従」「直接行動」なのです。

そして私が実際に見たヒロジさんは穏やかな人でした。
はにかむような笑顔、泣いたり、笑ったり、とても魅力的な人でした。

スピーチがとてもうまいです。みんなを鼓舞したり、笑わせたり。
彼の演説でみんな元気になって、よし頑張ろうという気にさせられるのです。

ヒロジさんが解放された動画だ。集まった人たちが泣いて喜んでいる。
ヒロジーーの掛け声が飛びかい「今こそ立ち上がろう」が歌われている。
花束が渡され、奥さんと抱き合う。拍手が起きる。
どれほどヒロジさんが慕われていて、その帰りを皆が待っていたかがよく伝わってくる。



半年ぶりのヒロジさんは、痩せて、幾分若返ったかのように見えた。
萩原流行に似てハンサムになったか。

「こんなハレの日に高江で捕まった時のまんま」
といって山に入った時の長靴を見せて笑いを取っている。
こういうフッと笑いを入れてくる。ユーモアのある人なのだ。

座り込みの現場に掲げられたガイドラインには
「いつでも愛とユーモアを」と書いてある。

これは決して軽々しい言葉ではないと思う。

機動隊の押し寄せる、国家の弾圧。

汚い言葉を思い切り大音量でぶつけてくる右翼の凱旋。

(たまにいる)応援に来てやったんだという上から目線のアドバイス。

必死の講義者たちをあざ笑う、ネタを探しに来るネトウヨ撮影隊。

現場は、ありとあらゆる困難に耐え、仲間で励ましあい、支え合い、運動をつないできた。

そんな中での「いつでも愛とユーモアを」なんだと思う。
長年運動を続けてきた、雨風に耐えてきた、現場の知恵だ。それがないと運動は続かない。
それを体現しているのがヒロジさんだ

沖縄にかつて瀬長亀次郎という不屈の政治家がいた。
米軍の圧政に立ち向かい2年間投獄された。
釈放された後に那覇市長になったが米軍が補助金を停止。
それを助けようと市民が自ら納税に集まったという。

ヒロジは政治家でもなく学者でも弁護士でもないが
基地反対運動のリーダーとして沖縄の歴史に確実に残る人だ。
僕らがオジーになっている頃には、きっと伝説の人物として語られていることだろう。
チェゲバラのTシャツがあるようにヒロジのTシャツもスタンダードになっているかもしれない
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