川崎駅の石敢当!

川崎や鶴見には沖縄出身者が多い。そのせいだろうか、駅前にこれがドドーンとあるのです。
「いしがんとう」です。

でかい!

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待ち合わせ場所にぴったり〜。でもなんて読めばいいかわからないだろうから「いしがんとう」の前でねーーって言えるのはウチナーンチュだけかもね。
いしがんとうは沖縄ではシーサーと同じく「魔除け」として魔が入ってくるのを防ぎます。
川崎駅の東口にこれがあるのは前から知ってましたが、今日、何気なく裏を覗いてみたら、ちゃんと説明が掘られていました。

昭和41(1966年)9月の沖縄の台風、特に被害が大きく毒のあるソテツを食べるくらい大変だった宮古島に川崎市議会が超党派で協力して救援活動をしてくれたのだそうだ。そのお礼に宮古産「トラバーチン(石灰華)」で作られた「石敢当」が送られたのだそうだ。川崎と沖縄の友好のシンボルとなっている。

宮古島からだったのか。これは知らなかった。
昭和41年の台風といえば自分が生まれる2年前のあれです

宮古島第2台風!

最大瞬間風速、なんと85メートル。日本観測史上、第1位。凄まじい、、、、
しかも進行速度も遅く宮古島に30時間も居座ったのだ。

食料がなくなり、ソテツの毒を抜いて食べるというような状態だった。
そこに川崎市から義援金が送られたのだ。

そうだったのか。川崎の皆さん。本当にありがとう!宮古の方言で言います「タンディガタンディ」

裏の碑文です

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最後は「昭和45年9月1日 川崎市長 金刺不二太郎」となっています。

「市民の交通安全を祈るものであります」という一文がついています。石敢当は魔が入ってこないようにブロックする物ですから、交通安全とは関係ないと思うんだけど、川崎市的にこういう理由で設置してますよということなのでしょうか。また、読み方が「せきかんとう」になっています。

またネットでこの石敢当について調べると、昭和34年(1959)の台風のことだというのが出てきます。この時の台風は「宮古島(第1)台風」っていうやつで最大瞬間風速64.8m。この時の方が被害が甚大だったそうだ。なんと島の7割の住家が損壊したそうだ。

しかし碑文にはちゃんと昭和41年と彫られているので、なんだろうと思ったら、こういうことだった。詳しい経緯が綴られています。

石敢当物語 古波津英興

要約すると、昭和34年(1959)の宮古島台風の被害救済のために県人会の古波津さんが奔走し川崎市を上げての募金活動が始まり、当時のお金で358万円がドルで送られた。その返礼に琉球政府から石敢当が4つ送られたのだが、設置場所が決まらず倉庫に眠ったままだった。なんとかしようということで、古波津さんが宮古島からもっと立派なものをトラバーチンで作ってもらい、川崎の公園課の進めていたドーム型円塚石積と交通安全協会会長の尽力により設置されたとのことです。(現在の石敢当は駅改装により、さらに作り直されたものです。)

それで交通安全っていうことになってるんですね。紆余曲折、まさに石敢当物語があったのか。

この石敢当物語で特にグっとくるのがここ。

「救援の波は、急速に高まり、ついに、全戸10円以上の、全市ぐるみのカンパ活動になりました。“宮古台風災害救援”の横幕を張った救援車が大スピーカーで訴え、タスキがけの議員団、あけぼの婦人会、県人会等が旗を揚げて駅前、商店街の要所要所に建ち並び、遠く東京、横浜からも、県人会や婦人会の方々がかけつけて、賑やかな募金風景でした」

実際の義援金集めの光景が見えてくるようですね。
宮古島出身者としてもう一度お礼を言います。本当にありがとございました!!!
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